このブログをご覧のみなさん、こんにちは。
最近「情熱が湧き上がっている人は、何故そんなに情熱湧き上がっているのだろう?」とか「やりたいことが何か分からない」といった声を良く聞く様になりました。
そう呟く人たちは思索に耽ったり、他人に意見を求めたりしているので、これに関して私見ですが、以下に記載させていただきます。
まず結論から言うと、「やりたいこと」なんていうのは、考えていたって閃いたり、湧き出てくるものではなく、行動を通じた体験から、偶然生み出されるものだということです。
その為、悩んでいてもムダで、そもそもこれは悩みではないと思います。
例えば、何時間も列に並んでも食べたいものとか遊びたいものなんていうのは多かれ少なかれ人間誰しも一つはあるものです。それはラーメンであったり、ディズニーランドであったりします。しかし、一度も食べたことがないものや遊んだことがないものに何時間も並ぶなんて努力は普通できません。だけど、一度でもそれを食べたり、遊んだりして好きになってしまえば、並ぶ努力が苦もなく乗り越えられてしまうのです。
感情に関わるものはほとんどがこういったものです。こういった自分自身の直接の体験から生まれる感情(喜怒哀楽)こそが、“情熱を齎す”のです。そして、その情熱こそが、困難なものへ向かうエネルギーを齎すものになります。
つまり、体験を伴わない思索や他人からの情報によっては情熱は生み出され難いということで、あくまでも自分の体験を通じて、心が揺さぶられることが大事なのです。
例えば、すごい情熱を持ってプログラミングの勉強をしている人は“必要性に駆られて”勉強している人よりも、“試しにプログラミングをやってみたら面白かった”とか、“プログラミングが出来ないためにバカにされて腹が立った”とか、“ちょっと参加してみた勉強会で、自分のあまりのプログラミングのできなさが悲しかった”とか、“ゲームのプログラムをプログラミングして楽しかった”という人が多いと思います。
英語の勉強だってそうで、例えば、会社の公用語が英語だから“必要性に駆られて”勉強している人よりも、“外国人の異性に英語で話しかけたい”とか、“TOEIC の点数でバカにされたから見返してやりたい”とか、“海外のカンファレンスに参加した際に英語で話しかけることができなくて悲しかった”とか、“海外の人と一緒にバーで飲みながら英語で話せて楽しかった”という人が多いと思います。
つまり、これはどういうことかというと
- “行動”なくして、“体験”はない。
- “体験”なくして、“情熱”は生まれない。
ということです。
そして、“情熱”なくして、“モチベーション”は生まれず、“モチベーション”なくして、困難なことを実現することはとてムズカしい、ということでもあります。
最も重要なことは“行動”こそが、全ての始まりだということです。後先考えずに様々な行動をする人は、色々なところで感情が揺さぶられ、色々な体験を得ます。そのため、色々なことに“情熱”を持つことができるのです。
逆に言うと、何も体験していない状態では、“情熱”は何に対してもまったくないということになります。
そして、これは他人に聞いてもムダだということも示しています。
なぜなら何に“情熱”を感じるかなんて、その人自身の心以外(つまり本人も含む)、誰にも分からないからです。
何か体験してみて、好きになるものがあったらそれに打ち込めば良いし、ないならないでそれでもいいでしょう。
やりたいことが分からないなら、仕事は“金を稼ぐためのもの”と割り切ってしまっていいと思います。
また、思索に耽っているだけなのもムダだということでもあります。
なぜなら“体験”なくして、“情熱”は生まれないと書いた通り、感情に関するものは、計画したり、操作したりすることができないからです。。どんなことが好きになるのかなんて、それに出会う前には分かりません。
“情熱”を持っている人を羨ましく思うのは自分が“情熱”を持ってないからだと思いますが、“情熱”を持ちたかったり、何かやりたいことが欲しいなら、とにかく“行動”してみるしかないと思います。
自然な、素直な気持ちで、どんどん新しいことに挑戦してみましょう。心が揺さぶられる体験に出会うまで心が大きく揺さぶらることはないでしょうが、一度それに出会ってしまえば心に焼き付き、自然と達成したい目標が生み出されるものです。
だから、やりたいことがない、“情熱”を持てないならまずは“行動”しましょう。