相手に求めてばかりでは良好な人間関係を築くのは難しい

前回、ハイコンテキストかローコンテキストか、それによって、コミュニケーションは異なるで、

結局これって、“察して欲しい”ってことなんだなぁと。

と書いたが、相手に求めてばかりでは良好な人間関係を築くのは難しいと考えている。

成人した大人同士の人間関係の中で「察して欲しい」と求めても、それをメディアが推し進めても、結局は良好な関係には繋がらないんじゃないですか?と考えたりしています。
「察して欲しい」という、原始的な欲求 雑誌VERYの広告から – スズコ、考える。

本心をうまく言葉にできない子どもやそもそも言葉で意思疎通ができない動物の場合は自分が“察する”というのはほぼ必須というのは理解できる。

一方、以下の2つは仕事で意思疎通する話をしている。

先に補足しておくと、「エンジニアの人の言葉が足りなすぎるでしょ」という意見ももちろんあると思います。こういうコミュニケーションは、お互いの信頼度によっても変わってくるので難しいところです。お互いが相手に伝わるように意識すべきだと思うんですが、 エンジニアから「できない」と言われた時にどういう意味で言ってるのか想像しやすくなればいいなという思いで書いておきます。
エンジニアの「できない」という言葉の裏側 – Konifar’s WIP
同じ人が
やはり知識のある方が歩み寄るべきなんじゃないかなぁと感じました。
エンジニアから非エンジニアに歩み寄る方が捗る – Konifar’s WIP

この2つの話を読んだ時の違和感って、上記のblog主がロジカルではない(=知識のある方が歩み寄るべきといいつつ、エンジニアのできないを理解するように求めている)点もさることながら、一番の部分は

でもそれと同時に、この「みなまで言わせず察して欲しい」という欲求は赤子が親に対してするような、原始的で幼稚な欲求であるということもまた意識しておく必要が有るんじゃないかなぁと思う。
「察して欲しい」という、原始的な欲求 雑誌VERYの広告から – スズコ、考える。

なのではないかと思い至るなど。

ちなみに相手が「できない」などのハイコンテキストな会話をして来た場合は「どういう意味で?」のように聞き返して自分が原因を理解できるようにしている。相手からは「(全部説明しないと理解できないなんて面倒なヤツだなぁ〜」と思われているだろうが、相手に悪印象を持たれたとしても仕事を進める上で必要なことなら、悪印象を持たれることに物怖じせず、行動した方が良いと思っているからだ。