“行動”が“情熱”を齎す

情熱プログラマー © by june29

最近「情熱が湧き上がっている人は、何故そんなに情熱湧き上がっているのだろう?」とか「やりたいことが何か分からない」といった声を良く聞く様になった。そう呟く人たちは思索に耽ったり、他人に意見を求めたりしているので、これに関して意見を述べたい。

まず結論から言うと、「やりたいこと」なんてのは、考えていたって閃いたり、湧き出てくるものではなく、行動を通じた体験から、偶然生み出されるものだということだ。その為、悩んでいてもムダで、そもそもこれは悩みではないと思う。

例えば、何時間も列に並んでも食べたいものとか遊びたいものってあるものだ。ラーメンとか、ディズニーランドとか。でも、食べたことがない、遊んだことがないものに何時間も並ぶなんて努力、普通出来ない。だけど一度でもそれを食べたり、遊んだりして好きになってしまえば、並ぶ努力が苦もなく乗り越えられてしまう。

感情に関わるものは殆どがこういったものだと思う。こういった自分自身の直接の体験から生まれる感情(喜怒哀楽)こそが、“情熱を齎す”のだ。そして、その情熱こそが、困難なものへ向かうエネルギーを齎すものになる。つまり、体験を伴わない思索、他人からの情報によっては情熱は生み出され難いということだ。あくまでも自分の体験を通じて、心が揺さぶられることが大事なのだ。

例えば、すごい情熱を持ってプログラミングの勉強をしている人は“必要性に駆られて”勉強している人よりも、“試しにプログラミングをやってみたら面白かった”とか、“プログラミングが出来ない為にバカにされて腹が立った”とか、“ちょっと参加してみた勉強会で、自分のあまりのプログラミングの出来なさが悲しかった”とか、“ゲームのプログラムをプログラミングして楽しかった”という人が多いと思う。英語の勉強だってそうで、例えば、会社の公用語が英語だから“必要性に駆られて”勉強している人よりも、“外国人の異性に英語で話しかけたい”とか、“TOEICの点数でバカにされたんで見返してやりたい”とか、“海外のカンファレンスに参加した際に英語で話しかけることが出来なくて悲しかった”とか、“海外の人と一緒にバーで飲みながら英語で話せて楽しかった”という人が多いと思う。

つまり、これはどういうことかというと

  • “行動”なくして、“体験”はない。
  • “体験”なくして、“情熱”は生まれない。

ということだ。そして、“情熱”なくして、“モチベーション”は生まれず、“モチベーション”なくして、困難なことを実現することはムズカしい、ということでもある。

最も重要なことは“行動”こそが、全ての始まりだということだ。後先考えずに様々な行動をする人は、色々なところで感情が揺さぶられ、色々な体験を得る。その為、色々なことに“情熱”を持つことが出来るのだ。逆に言うと、何も体験していない状態では、“情熱”は何に対しても全くないということだ。

そして、これは他人に聞いてもムダだということでもある。何故なら何に“情熱”を感じるかなんて、その人自身の心以外(つまり本人も含む)、誰にも分からないのだから。何か体験してみて、好きになるものがあったらそれに打ち込めば良いし、ないならないでそれでも良いと思う。やりたいことが分からないなら、仕事は“金を稼ぐ為のもの”と割り切ってしまって良いと思う。

また、思索に耽っているだけなのもムダだということでもある。何故なら“体験”なくして、“情熱”は生まれないと書いた通り、感情に関するものは、計画したり、操作したりすることは出来ない。どんなことが好きになるのかなんて、それに出会う前には分からない。

“情熱”を持っている人を羨ましく思うのは自分が“情熱”を持ってないからだと思うが、“情熱”を持ちたかったり、何かやりたいことが欲しいなら、とにかく“行動”してみるしかないと思う。落ち着いた、自然な、素直な気持ちで、どんどん新しいことに挑戦してみよう。心が揺さぶられる体験をするまで心は大きく揺さぶられないだろう。しかし、一度出会ってしまえば心に焼き付き、自然と達成したい目標が生み出されるものだ。

だから、やりたいことがない、“情熱”を持てないならまずは“行動”しよう。